Keisuke ikeda weblog
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#702


肺癌で入院していた祖母が5月24日の午後8時に亡くなってしまった。
享年90歳でした。

90歳で大往生だったね。と葬式では沢山の人に言われたが、
祖母は最期まで「まだ死にたくない。」と病気に立ち向かい、生きることを諦らめていなかった。

当初は何とか年を越しても余命は2ヶ月位と言われていましたが、
祖母の生命力の強さで余命宣告から半年近くも頑張ってくれました。

とても健康に気をつけて日々の食生活からとても気を使い過ごして来た祖母
どうして肺癌になってしまったのだろう、最期まで「どうしてなんだろう?何が悪かったんだろう」と言ってた。

それでも12月から2月位までは本当に癌なの?と思うくらいに元気でした。

とても好奇心旺盛な人でテレビゲームとかもをボケ防止の為によくやっていたので、
病院でも数年前の誕生日にプレゼントしたニンテンドーDSの脳トレをするのが日課で脳年齢は25歳の若さでした。

携帯電話のメールも得意で、テレビで東川町の写真の奴やってるよ。とか、何度かメールが届いた。

暇つぶしで編み物をしていて、子供の分、孫の分、ひ孫の分、病院の先生、スタッフの分の毛糸で作った座布団を毎日忙しそうに編んでいた。

最期の方は癌が全身に転移してしまい、激しい痛みを消すために投与されたモルヒネの副作用で幻覚の世界でも
編み物をしていた様で眠っているが指だけは編み物をしているように動いていた。

朦朧とする意識の中で「まだまだ沢山やりたいことがあったけでも、もう間に合わなかった。。。」と
悔しそうに言っていた。

亡くなる前日に母から「今朝、院長先生にそろそろだと思います。連絡したらいつでも集まれるよう準備だけはしておいて下さい。」と言われたから
最期に顔を見に来て欲しい。と言われたので仕事を抜けて病院へ

この前に行った時は辛そうながらもまだ話しかければ返事もしてくれたが、この時は反応が無かった。
30分程滞在し、手を握ったり、話しかけたりしたけども反応が無かったので、
「ばぁちゃんまた明日来るからね。」と言って帰ろうとした途端に目が開いた。

「ばぁちゃん起きたかい?圭輔だよ?わかる?会いに来たよ」と言うと、
絞りだすような小さな声で「あ、、、あ、、、あ、、、ありが、、、、と」言ってくれた。

それが祖母から聞いた最期の声でした。

24日の夜7時15分頃までは母と妹は病院にいたが晩ご飯の支度をしに一度帰宅した。
7時40分頃に病院から容態急変の連絡があり、皆で病院に着いた頃には祖母はもうすでに一人で逝ってしまっていた。

僕が祖母の顔を触ると祖母の左目から涙がこぼれ落ちた。

ようやく痛みから開放され安らかな顔で眠っていた。
激痛に耐え過ごした日々はそれはそれは苦しい日々だったと思うが、
それでも最期までまだ死にたくない言っていた祖母の事を考えるとやっぱり無念だったんだろうとなと思います。

自分だったら肺癌だと宣告された時点で生きることをとっくに諦めていただろう。と思います。

遺影の写真は僕が撮影した写真を使って貰った。

まだ元気な頃から死ぬときは圭輔が撮ってくれた写真で私は逝きたいと言ってくれていた。

改まって遺影写真として撮影はしなかったけども、優しくニッコリ笑った祖母の顔の写真を遺影にする事が出来た。

葬儀中に参列者の方から「良い写真だね〜」と言う声が何度か聞こえた。
そう言って貰えると自分も嬉しかったけど、でも多分祖母のほうが喜んでくれていると思う。笑

ばぁちゃん良く頑張ったね。
お疲れ様でした。
沢山、沢山ありがとう。
いつか会いに行くからね。